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修道院のあゆみ
聖心のウルスラ宣教女修道会
正式名称 |
聖心のウルスラ宣教女修道会 |
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創立年 |
1575年 |
創立者 |
マッダレーナ・モリナリ |
創立国 |
イタリア |
本部・総長館 |
イタリア・ローマ |
─ 本会の歴史概略 ─
本会の起源は全て神の御業の始まりがそうであったように慎ましものでありました。貧しい不幸な少女たちを世話し教育するために
ヨハネ・ヴァイラ師がパルマ市で始めたキリスト教的慈善事業「救いを必要とする子供達の家」は、マッダレーナ・モリナリの献身的な活動によって、神のよりあきらかな照らしを悟り、徐々に修道生活へと方向付けられて行きました。
キリストへのまったき信頼とすべての人々に対しての愛の奉仕によって「一致と言い表し得ないほどの快活さ」が本会初期の頃より人々の心をひきつけるほどの特徴となり、多くの青年女子に召命の道へと歩ませる、きっかけとなりました。
このようにして当時の使徒職の旗印であった殉教者聖女ウルスラを保護者として仰ぐ本会は、修道会としても堅固な礎をきづいて行きました。
1651年本会最初の総長となったマッダレーナ・モリナリによって会則の規定とイエズス会司祭方によるイグナチオ的霊性の指導によって更に発展していったのです。
1886年総長に選出されたマードレ・マリア・ルクレチア・ジレリ(現在列福調査中)は、時のしるしを理解し青年女子のキリスト教的教育という目的にそった神への奉仕を実現させるために創立の起源に立ち返り本会固有のカリスマを見直しつつ新しい適応へと進ませました。 その間に、いろいろな困難な時期をも神への強い信頼によって乗り越えることが出来ました。
マードレ・ルクレチア・ジレリは、また、新しい宣教の使徒職の準備などによって本会に活気に満ちた刺激を与え、第二の創立者とみなされています。
本会は創立の当初よりイエズス会の指導のもとに、聖イグナチオの偉大な霊性の流れの中に溶け込み、使徒的な修道生活をなす修道会です。それは、愛徳の唯一のおきてを実現する総合的な愛の行為としての徒使職であり、それ故ウルスラ会員は、祈りと活動を一つのものと考えて、教育事業、要理研究、福祉事業等の場で働くシスターも、修道院内でのかくれた労務(家事洋裁)に携わるシスターも、共に主への奉献のよろこびをもって活動する観想者となる招きを受けているのです。
このような本会特有のカリスマ、ウルスラ会の精神は、創立の始めより現在にいたるまで400余年の間たえることなく、受け継がれ、イタリア本部より中国そして布教地日本へと伝えられてきました。
1952年2月日本二十六聖人の祝日に中国より追放されたイタリアのマードレ方四名が来日され、日本におけるウルスラ会の初穂としての土台を多くの犠牲のうちに福岡の地に築かれ、その後、宮崎県、三重県、東京へと神の恵みのうちに発展して行きました。
イタリアのパルマに小さく貧しく芽生えたウルスラ会の霊性と精神は、この日本の土地にも少しも変化することなく深く根を下ろし、いろいろな事業を通して、近づく人々に、キリストの愛とキリストのみことばを「一致と言い表し得ない程の快活さ」をもって伝え続けています。 |
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Ursuline Missionaries of the Sacred Heart
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